横山だいすけ&のぶみ「あたしおかあさんだから」の歌詞が素晴らしい

      2018/02/09

だいすけお兄さんの歌う「あたしおかあさんだから」はいい歌詞だよね

一部で炎上?しているらしいですが、私は断固この歌詞は素晴らしいと思います。

まずは、以下に引用しますので、初見の方は読んで見てください。

知ってる人は飛ばしてOK。

 

『あたしおかあさんだから』

歌:だいすけお兄さん 作詞:のぶみ

 

一人暮らししてたの おかあさんになるまえ

ヒールはいて ネイルして

立派に働けるって 強がってた

 

今は爪切るわ 子供と遊ぶため

走れる服着るの パートいくから

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あたし おかあさんだから

 

あたし おかあさんだから

眠いまま朝5時に起きるの

あたし おかあさんだから

大好きなおかずあげるの

あたし おかあさんだから

新幹線の名前覚えるの

あたしおかあさんだから

あたしよりあなたのことばかり

 

あたし おかあさんだから

あたし おかあさんだから

 

痩せてたのよ おかあさんになるまえ

好きな事して 好きなもの買って

考えるのは自分のことばかり

 

今は服もご飯も 全部子供ばっかり

甘いカレーライス作って

テレビも子供がみたいもの

あたし おかあさんだから

 

あたし おかあさんだから

苦手なお料理頑張るの

あたし おかあさんだから

こんなに怒れるの

あたし おかあさんだから

いいおかあさんでいようって頑張るの

あたし おかあさんだから

あたしより あなたの事ばかり

 

あたし おかあさんだから

あたし おかあさんだから

 

もしも おかあさんになる前に

戻れたなら 夜中に遊ぶわ

ライブに行くの 自分のために服買うの

 

それ ぜんーんぶやめて

いま、あたしおかあさん

 

それ全部より おかあさんになれてよかった

 

あたし おかあさんになれてよかった

あたし おかあさんになれてよかった

あたし おかあさんになれてよかった

 

だって あなたにあえたから

私がこの歌詞を素晴らしいと思うポイント

子供に対する愛情をストレートに表現している

この歌詞を読むと、「親の気持ち」がストレートに表現されていることがわかりますね。

私も、人の親になったからこそ理解できる部分が多いと思います。

逆に言うと、子育てをしたことがない人には理解することは難しいと思いますね。

私も、娘ちゃんが生まれる前は子供の可愛さは全く想像できませんでした。

親として、子供の幸せを願うことは当然です。

そして、「自分を犠牲にしても子供を幸せにしたい」と思うのは、生物学的に見てもごく自然なことと言えるでしょう。

自分や、配偶者と重ね合わせることができる

自分の子供に対する思いや、妻や夫の子供に対する気持ちに照らし合わせることができる内容なので、共感しやすいと言えるでしょう。

私の場合、妻の娘ちゃんに対する気持ちや、自分自身の気持ちにも重なる部分が多くてとても共感できますね。

特に、子供が小さいと外食もなかなか行けませんし、いける店も限られますしね。

2歳ぐらいになってくると、大人と同じものも食べられるようになってくるので大人の食事も子供向けの味付になりますよね。

こんな感じで、日常の「あるあるネタ」が随所に散りばめられているので、思わず共感してしまいます。

炎上する謎

どうやら、ネット上の一部でこの歌詞の評判がすこぶる悪く、プチ炎上状態になったらしいです。

理由としては、「母親に自己犠牲を強いている」、「『母親はこうあるべき』と言う価値観を押し付けている」と言う点があげられるようです。

当然、感じ方は人それぞれですし、日本には表現の自由があるので批判することも自由です。

しかし、私はこの批判には違和感を覚えざるを得ません。

読解力の欠如からくる批判

批判している人の主張を見ていると、読解力が低く、作者の意図が伝わっていないケースも見受けられます。

歌詞の内容からして、幼児期の子供を持つ母親を想定しているのではないかと想像できます。

しかし、それに対して、
「子供が小学生になったんだからこの歌詞には当てはまらない」などと言っている人が居ますが、まさに読解力の欠如と言えるでしょう。

のぶみ氏は、曲を聴いた人がそれぞれ、「あの時はああだった」「今まさにこんな感じ」と、自分の過去から現在までの育児経験と照らし合わせて共感することを期待したのではないでしょうか。

まさか、「子供を持つ母親は生まれた瞬間から成人するまでずっとこの歌詞の通りであるべき」と言うことを表現しているわけはありませんよね。

また、この歌詞の全てを自分に当てはめる必要もないはずです。

たとえば、「新幹線の名前を覚える」、「カレーを甘口で作る」など、自分の行動と重ね合わせることが出来る部分を見つけ出し、そこに共感すること目指して作詞を作ったはずです。

決して、「全てに同意できるはず」と思って作詞はしていないはずです。

そのことを理解せずに、「私はカレーは自分の分だけ取り分けて辛口にしている」などと言っている人が居ましたが、全く作者の意図を理解していないと言えるでしょう。

 

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共感できる部分が全くなければ、母親として失格だと思う

この歌詞は、「子供の幸せを願い、一生懸命がんばるお母さん」を表現しています。

この一連の歌詞に、ごく一部であっても共感できる要素を感じない人は、残念ながら母親としての適正があるとは言えないでしょう。

別に、自分が同じことを行ったかどうかはここでは重要ではありません。

たとえば、「子供のために頑張って新幹線の名前を覚える」と言う歌詞から、新幹線の名前を覚えているお母さんを想像し、「そう言えば、自分も以前、子供が喜ぶから○○を頑張ったなあ」と思い出させることがのぶみ氏の狙いだと思います。

子供の幼稚園の遠足のお弁当を早起きして頑張って作ったりした経験などですよね。

普段の夕食作りだって、お洗濯だっていいんです。

子供が可愛いから少しぐらい大変でも頑張れることって多いと思います。

一連の歌詞に、全く共感できない人は、「子供のために何かを頑張る」と言う気持ちがない人だと思いますので、母親としての適正がないと思いますね。

 

「押し付けられている感」を感じるかどうかが、批判と共感の分かれ目

ちなみに、私は上記で「母親の適性がない」などと言いたい放題を言っていますが、実際にはこの歌詞を批判しているお母さんのほとんどは立派なお母さんだと思います。

矛盾しているように思われるかもしれませんが、批判している人は、「歌詞に共感できない」わけではなく、「母親のあるべき姿」を押し付けられていると感じて批判しているのではないでしょうか。

「完璧な母親でなければならず、子供のために自分の欲求は全てを封印しなければならない」と言う呪縛を感じているのでしょうか。

しかし、私の解釈では、のぶみ氏はそのようなことは全く表現していないと思います。

「大変なことも多いけど、この子が可愛いから頑張れる」と言う素直な気持ちを表現しているわけですね。

この歌詞のお母さんだって、休日に子供を旦那さんに預けて、一人で自分の好きなことをする日があるかもしれないですよ。

この歌詞を、そのような「呪縛」として感じる人は、逆に、何かご自身の行動に後ろめたさを感じているのではないでしょうか?

別に、頑張る時は頑張って、羽根を伸ばす時があってもいいわけです。

人間である以上、息抜きは必要なので、そこに後ろめたさを感じる必要がありません。

堂々としていれば良いのです。

 

のぶみ氏は謝罪の必要はない

残念なことに、のぶみ氏が歌詞の炎上を受けて謝罪を表明したそうです。

自分の作品に自信があれが、謝罪はするべきであはりません。

差別的な意図があったり、人を傷つける内容であれば、謝罪をすることは当然ですが、のぶみ氏の作品にはその必要性は感じられません。

たまたま、想定と異なる受け取り方をした人の声が大きかっただけです。

大衆に迎合する姿勢も時には必要かもしれませんが、今回はその時ではないと思います。

だいすけお兄さんの謝罪はもっと残念

だいすけお兄さんはもっと謝る必要はないのは明白です。

この「とりあえず謝っておけ」感はいただけないですね。

主婦層に人気があるので、敵に回したくない気持ちはわかりますが、謝ることによってがっかりする人もいますので。

 

のぶみ氏の作品を紹介するよ

のぶみ氏は絵本作家で「母と子」をテーマにした絵本をたくさん書いています。

今回の件で初めて知った方もいると思いますのえ、いくつか紹介しますね。

ちょっと変わった絵本が多いですが、興味がありましたらどうぞ。

ちなみに、私はまだ読んだことがありませんw

世間ではインフルエンザが流行っていますので、お気をつけてください。

 

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