天皇陛下の退位時期の問題点、二重権威、今後の皇位継承について解説

      2018/03/10

天皇陛下退位で上皇と天皇の二重権威になるか

天皇陛下が譲位し、現皇太子に皇位継承を行うことが決定しています。

その際に、問題として懸念されているのが、上皇と天皇の二重権威になる可能性ですね。

今回は、百地章、高森明勅と言う二人の専門家の発言を参考にしたいと思います。

皇室会議で天皇の退位に関する皇室典範の特例法の施行日が平成31年4月末日となった

政府は4月30日に陛下が譲位し、5月1日に新天皇が即位することを閣議決定をしました。

そして、譲位した天皇は上皇となるが、新天皇との二重権威を懸念する声があります。

宮内庁の山本真一郎長官は、上皇が権力を振るった時期は皇室の歴史で一部でしかないため、懸念はないと断言しています。

しかし、一般参賀のような場に、上皇、上皇両陛下が参加した場合、上皇夫妻の二人に注目が集まる可能性は高いと考えられます。

そのため、代替わり後に、両陛下が皇室行事にどのように関わるか、その線引きを決める必要があります。

また、上位の儀式を国事行為とするか、皇室行事とするかが焦点となっています。

昭和から平成への一連の代替わりには多くの国費を使用したことから、儀式の簡素化や経費節減も議題になっています。

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安定的な皇位継承問題が手付かずになっている

今回の譲位を成立するための特例法を成立するために、特例法には女性宮家の創設などについて、法施行後、速やかに検討するように明記されています。

ちなみに、安倍総理は女性宮家創設に消極的です。

自民党には女性宮家から生まれた子が行為を継承して女系天皇につながると警戒感を示している人もいて議論がなかなか進まない現場となっていますね。

現在、若い世代の皇位継承者は秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁親王殿下しかいません。

そして、男系男子のみと言う条件で、養子も取らず、天皇も側室を取らない状況では歴史上最も厳しい状況であると言えます。

その打開策として、政府内では旧宮家の男系男子の皇籍復帰という案も取りざたされています。

 

今後の天皇や皇室の制度に関しての懸念は?

若い世代の後続の方が少ないので、皇室の活動に支障はないのか?

女性の皇族ばかりなので、システムを変えていかないといけないのでは?

このような点を心配する人も居ます。

また、そもそも、言葉の定義の理解して居ない人も多いでしょう。

女系、男系という言葉の意味は?

女系天皇に反対する人の意見は?

何が悪いのか?

 

懸念点は何か?

上皇と天皇の二重権威に関する懸念点について、専門家の見解を紹介します。

 

百地氏の見解

天皇が日本国および、日本国民の象徴とされているので、日本における最高の権威と言える。

明治以降は、その陛下が亡くなった時しか皇位継承はなかった。

必ず、天皇一人しかいない状態であった。

退位を認めると、上皇として残るため、今までの天皇に対する思いを持っている人たちもいる。

辞めた後も、元陛下(上皇)を中心に考えてしまう人もいるはず。

しかし、憲法上は新天皇が象徴であるので、国民に周知する必要がある。

法的には全くないが、実質問題として、上皇派と天皇派などになると困る。

陛下もはっきりとおっしゃているが、天皇が変わったら、天皇の公務は国事行為なので、国会を招集したりなど、象徴としての行為(各地を暁光するなど)いずれも天皇しかできない行為である。

法理論からすれば、天皇でなくなった上皇は国事行為公的行為もできなくなる。

退位後は、国事行為も公的行為も新天皇に譲る必要はある。

一応、二重権威の懸念はないとされている。

国民の気持ちは様々であるが、法的にも制度的にも国はきちんと対処しようとしている。

 

高森氏の見解

二重権威という言葉自体が、曖昧な言葉である。

権威の定義づけとして、百地がいうような感情の問題は世代によって、現天皇陛下とずっと生涯を過ごしてきたような人が、上皇になったからといって急に気持ちが冷めてしまうようなことは起こらないでしょう。

昭和天皇の場合、亡くなった時に、殉死をした人もいた。

象徴、国会の権威としての位置づけがある。

国の秩序としての最高権威は天皇である。

その、天皇が最高の地位にあるから、国会を召集することができる。

陛下の開会式の席は一段高い場所にあるのは地位の高さを表現するため。

内閣総理大臣を任命するのも天皇陛下。

三権の上に天皇がいると言える。

現天皇が退位をしたら、現皇太子殿下がその地位に就くため、二重権威とはならない。

言い方は悪いが、役人は法整備を行うので、本来、下々の人間がそこまで偉そうに議論をすることがおかしい。

役人がやりすぎな部分。

過去の上皇とは背景が異なる

二重権威と言われる場合、過去における院政時代を連想する人がいる。

しかし、あの時は、上皇が荘園制社会で、日本最大の荘園主だった。

経済的なバックグラウンドがあったため、権力を振るうことができた。

権力者であったために、起こった事象。

今回、特例法という形で譲位をするので、特例法に書き込んである中に、要件が3つある。

  • 天皇の意思に反しない
  • 譲る後継者が成年に達している
  • 皇室会議で決定をする

三権の長が集まり、後続の代表が集まり、介在する形で退位が実現するというルールを今回作成したので、二重権威の心配には当たらない。

 

譲位の行事を国事行事とすべきか、皇室行事とすべきか

国事行為とすべきとの案も。

剣璽等承継の儀(けんじとうしょうけいのぎ)を行う必要がある。

天皇が皇位を継承された証(あかし)として剣璽・御璽・国璽を承継される儀式

 

三種の神器が映る。剣城と玉が映る。

賢所の儀が行われる

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宮中で行われる祭りは国事行為とすると、政教分離に抵触する。

国事行為に該当するのが退位の儀式。

国事行為として行うのが筋である。

儀式の簡素化や経費削減を公共事業と同じような議論をして良いのか。

乱暴な言い方をすると、どっちでも良いとの意見もある。

 

譲位日程の妥当性について

譲位の日程は4月末日となったことの妥当性について二人の意見を紹介します。

百地

妥当と言える。

改元と関連するので、1月1日という意見もわかる。

しかし、1月1日は皇室で多くの祭りが続くため、避ける必要があった。

1月7日が昭和天皇の30年祭にもなるので、陛下がお勤めしたいだろうということで、避けた。

3月か4月という案があったが、年度替りの4月は統一地方選挙もあることから、それを避けて、4月末日となったようである。

 

高森

疑念を禁じ得ない。

皆さんが考えても、1年の節目とすれば、新天皇が即位をするのであれば、1月1日か4月1日が好ましい。

これは普通の考え方である。

元号も変わるので、ここが一番ふさわしい。

5月1日に新しい天皇が即位すると、何が問題なのかと言うと、極めて重大な問題がある。

この年の11月に、即位の礼が前例に従えばあり、その後に天皇陛下の皇位継承に伴う大きな祭り、大嘗祭が行われる。

地方の農民が献上した稲を使用することが、大嘗祭にとって最も大切なことである。

それをどこにするかは、天皇の代ごとに異なる。

アオウミガメの甲羅を火で焼いて、火で炙って、どこの米を使用するかを決めるのである。

そのため、亀卜をやるタイミングが、田植えが始まる前であるべきである。

そうでないと、田植えが始まって終わったところがあらかじめ除外されてしまうか、田植えが始まって農作業が進んでいる途中でかまわず行ってしまうか、どちらかしかない。

しかし、どちらも相応しくはない。

やはり、4月1日が好ましい。

 

平成の時は、過激派が全国で暴れたので、特定の田を決めると、荒らされる可能性があった。

護国神社を守るために、夜通し夜警した。

この時代に過激派が狙うと言うことがないにもかかわらず、譲位と言う形で日取りを選べるにもかかわらず、5月1日にしたと言うことは、大変な後世に疑念を残すことであると言える。

 

女性宮家創設の是非について

安定的な皇位継承のために、どのような考え方があるか。

現在、下記の案がある。

女性宮家を創設する

旧皇族の子孫の復帰を認める

摂政を置く

女系天皇まで認める

 

そもそも女系天皇とは?

現在の憲法で皇室典範の元では、男系男子しか天皇になれない。

愛子さまが天皇になることはない。

愛子さまが天皇になったとすると、父方が皇太子なので、男系女子と言える。

 

愛子さまの相手は、後続男子ではないので、民間人となる。

その場合、その子供は父方は民間人となり、母方のみが天皇家となる。

これが女系。

2000年の皇室の伝統がここで崩れるわけである。

百地氏の見解は、男系女性天皇も反対。

理由は、歴史的には、女性天皇は結婚をしてはいけない。女系となるため。

そのため、一生未婚でいる必要がある。

これは問題がある。

 

高森

男系男子限定で、かつ側室を認めないと言うのは、今の皇室典範が制定されるまで、歴史上全く例のない最も狭い範囲になる。

男系男子は、側室という制度があって初めて機能する。

125代の天皇のうち約半分は側室の子供であった。

医療水準が低かったが、それを踏まえても4代に1度は側室を置かないと途絶えてしまう計算となる。

男系男子にこだわるのであれば、側室を復活しないと、皇室そのものが行き詰まってしまう。

しかし、現代において側室を置くというのは国民の理解を得られないでしょう。

歴史的経緯を考えると、側室という国民感情に反する制度となる。

現状の制度では、直系でなければならないとしているが、実際の歴史では直系で繋がれたことは実は少ない。

初代から10代目までと、幕末ぐらいしかない。

それ以外は、いくつか枝分かれをしているため、男系を守るためには、直系だけではなく、いくつかの支柱を作る必要がある。

傍系を認める必要がある。

4つの親王家があり、伏見宮家、閑院宮家、有栖川宮家、桂宮家とある。

この4本の柱で皇位継承を支えてきた歴史がある。

永世親王家と言い、いつでも皇位継承権となる人を出せる。

傍系は、天皇陛下ではない宮家。

旧皇族の子孫の復帰を認めるか?

現実問題として、復帰はあり得るか?

ある報道によると、復帰したくないと答えた人が多いとのこと。

旧宮家からふさわしい人を皇族に迎えると言う法律が出来れば、その時に探せば良い。

本人たちは明確に拒否をしているので、その孫の話をしている。

つまり、一度も皇族経験のない人たちの話となる。

その人たちに、強制はできないし、強制の雰囲気が出ることも好ましくない。

本人の意思、皇室の意向、国民が納得するか、と言う条件のもとで相応しい人を探すべき。

 

高森

女性宮家を創設し、女性宮家から生まれた女系天皇を認めても良い。

25代武烈天皇から26代継体天皇に移る時、女系に変わっている可能性が高いとも言える。

歴史学では、継体天皇の即位は、入り婿型の皇位継承と言われており、手白香皇女に婿として遠い血筋の皇族がやって来た。

遠い人が来て、それまでの直系の女性と結婚をし、その血筋を受け継いで来ていると言える。

遠いが、男系男子を探したと言える。

直系だけに男子出産のプレッシャーを与えるとよくないので、4つの宮家がサポートをして来た。

 

側室はあり得るか?

結局は、男系限定の解除か、側室制度かのどちらかしかあり得ない。

昭和天皇が人倫に反すると述べたので、側室は考えにくい。

血筋だけを迷信のように崇める訳ではなく。

 

一言でまとめると

男系男子が継承すべき:百地章氏

女系天皇も容認すべき 高森明勅氏

 

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